自転車でちょっと散歩のつもりが、軽いデイ−トリップになってしまったりする。自転車でこなす日常の用事だって、気分の切り替えひとつでサイクリングになりうる。ちょっと遠回りして裏道でも通ってみようか、という感じで。そこには、なめらかな変換がある。日常と非日常の間にきちんとボーダーを設けて、よし、今日はオフだ、全部遊びだ、というメリハリのあるライフスタイルもうらやましいと思うが、まあそう固く考えず、日常も非日常も、楽しければいいじゃん、気楽に行ったり来たりしようよ、というボーダーレスなスタイルも悪くはない。
(参考サイト)
奈良のホテル - じゃらんnet
http://www.jalan.net/hotel/290000/
堂島ホテル - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad355942/
コンフォートホテル岐阜 - じゃらんnet
http://www.jalan.net/yad315168/
むしろ、私たちがどうしようこうしようと考えて決めるというよりも、自転車が導いてくれると言ったほうがより事実に近いだろう。気がついたら、新しい体験の領域に入っていた。感受性が活性化していた。今まで日常の中に埋没していたと思われていたものの、別な側面が見えてきた。そんなとき、自転車びとは、我知らず、境域や壁を越えている。努力してそうしたといより、恩寵のように、自転車びとは日常を超えた世界の中に入ってゆく。あるいは、日常中に、それまで気づいていなかった価値あるものを見出す。散歩の1歩先へ。そこへごくごく連れていってくれるのが、自転車だろうと私は思っている。東京での学生時代を除いて、ずっと住んできた街だが、私は地元の地方都市を、遠く訪ねてきてくれた自転車仲間に案内するのがとても好きだ。迷路のような路地に道案内しり風水的な裏話を通して、地元自慢をできるということもあるが、この街を初めて訪れる友は、私自身の五感も活性化してくれる。また冬枯れたある日に経験したことを話せば、長い間見続けてきた地元の風景が、灰色砂に覆われた海辺の民家の石垣が、皮膜でも剥がされたかのように、見知らぬ土地の見知らぬ眺めのように、迫ってきたことがある。そのときは、まるで、私が少年時代からその土地で暮らしてきたことが虚構だったかのような幻惑感があった。